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請願署名を追加提出しました

本日(2014年1月6日)、広島市議会事務所に76名分の請願署名を追加提出しました。
現在の共同請願人の総数は1815名です。

広島市長からの回答

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▼質問PDF
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/20131111.pdf
▼回答PDF
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/hiroshima_shicho_kaitou.pdf
▼広島市長回答受け取りとその顛末
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/hiroshima_shicho_kaitou_tenmatu.pdf

▼以下顛末報告▼

2013年11月18日

広島市長回答受け取りとその顛末報告

「結・広島」
広島市安芸区矢野町 752-29
代表 原田二三子

 既報のとおり、『結・広島』は「四国電力伊方3号機再稼働問題に関する広島市長への質問」を11月12日に提出し、広島市企画総務局秘書課長の岩崎学氏に受け取っていただき、11月18日回答を書面で受け取りに参上することを約しました。

(文章が長いので後での検索用に小見出しを入れております)


再稼働反対決議請願と温暖化対策課の「見解」との関係

 質問書の要点は、
  ① 「結・広島」の先頃広島市議会に提出した「伊方原発3号機再稼働に反対する決議」を求める請願書に関して市議会所轄常任委員会である『経済観光環境委員会』委員長の豊島岩白議員の求めに応じ、広島市役所担当部局である広島市環境局温暖化対策課が『見解』を豊島議員に提出し、これをこの問題に関する広島市当局の見解として常任委員会に報告した。
  ② この広島市当局(温暖化対策課)の見解は松井一實市長ご自身の見解であるか。

 というものです。

 考えてみればこの「質問」自体奇妙な質問でもあります。というのは広島市役所の長である広島市長に対して、その傘下市当局が議会に対して示した見解に対して「これはあなた自身の見解でもあるのか?」と聞いているわけですから。普通であれば聞かずもがなの質問です。しかしこのケースではあえて聞いて見なければならない理由がありました。

 「結・広島」の請願書の中身は、
①伊方原発の再稼働が近づいている、
②原子力規制委員会の「原発苛酷事故時の放射性物質拡散シミュレーション」と同じく原子力規制委員会が決定施行した「原子力災害対策指針」(2013年9月5日施行)を合わせ読むと、広島市は1週間で4mSvの被曝線量を被ることになり、「一時移転」の対象区域となる、
③現在の原子力規制行政は決して原発の安全を担保しておらず、「確率論的安全性評価」(PSA)の考え方の下に、原発再稼働の「基準適合性審査」を行っている、
④従って伊方原発はフクシマ事故並の苛酷事故を起こす蓋然性をもつ、
⑤これは広島市民にとって「生存権」問題である、
⑥よって広島市議会は広島市民の生存権を守る立場から「稼働反対」を決議して中央政府に政治的圧力をかけていただきたい、

というものでした。

 この「請願」に対して広島市当局の見解は、
①伊方原発問題はエネルギー問題である、
②エネルギー問題は国(具体的に“国”とは何を指すのか不明です。日本国憲法では国ないし国家とは国民そのものを指しますが、この場合の“国”は明らかに国民を指していません。前後を考えれば“政府”ないし“政権”を指しているものと思われます)の専管事項である、
③原発に対する信頼性はフクシマ事故で大きく損なわれた、
④広島市としてはこの信頼性の回復に努めるよう要望している、
⑤原発再稼働問題は、広島市としては国の進めているエネルギー政策見直しの中で適切に判断されるものだと考えている、

というものでした。


伊方原発再稼働は「生存権問題」か「エネルギー問題」か

 要点を整理すれば、伊方原発3号機再稼働問題は広島市民にとって「生存権問題」と「結・広島」が問題提起したのに対して、広島市当局は「生存権問題」の視点は無視したまま、伊方原発3号機再稼働問題という個別問題を、「原発問題」という抽象的一般論に置き換えて、原発問題はエネルギー問題とこれも一般化し、その上でこれは「国の専管事項」なので国及び関係当事者が適切に判断するものと期待している、と答えています。

 広島市当局は、「伊方原発3号機再稼働は広島市民の生存権問題」という問いには何ら反応を返さず、原発一般問題に置き換えて「エネルギー問題」だから広島市としては直接あずかり知らない、と広島市議会に「見解」を示したことになります。


ポスト・フクシマ時代の地方行政のありかた

 この広島市当局の「見解」は、請願を提出した私たちにとって看過できないものとなりました。1つには伊方原発3号機再稼働問題を広島市民の生存権問題として把握しきれない広島市当局の鈍感さ、が上げられます。フクシマ事故前とポスト・フクシマ時代では、地方行政のあり方は大きく変わりました。いや大きく変化しなければならないはずです。これまでは政府のいうなりに中央行政の末端行政機関として地方行政の存在が曲がりなりにも許されてきました。単に原発問題に止まらず、フクシマ事故が地方行政のあり方に対して投げかけた問題提起は非常に深刻なものがありました。典型的には、その大部分が福島第一原発から30km圏外にある福島県飯舘村の村長のコメントです。彼はいいます。「いままで国のいうとおりにやってきた。それが村民の避難という事態にまで立ち至った。これまで国を信じてやってきたのに国に騙された」

 地方自治体の最高責任者として「国に騙された」で済まされてはかないません。飯舘村の村長が国に騙されたのなら、それは騙した国よりも騙された飯舘村の村長により大きな責任があります。住民の立場からすればそうなります。なぜなら、飯舘村の住民の生命・財産、一言でいうなら生存権を守り抜く直接の最高責任者は飯舘村の村長、という役職なのですから。飯舘村の村長には大変気の毒な話ではありますが、少なくとも「ポスト・フクシマ時代」は、国のいうなりであってはならず、地方自治体といえども自ら調査研究し、住民の生存権は、第一義的にその自治体首長が守り抜くという姿勢を示してもらわねば困ります。少なくともそれが「フクシマ事故」から学んだ「ポスト・フクシマ時代」の地方行政の姿勢だ、といっても言い過ぎにはならないでしょう。

 この観点から見れば、広島市当局の姿勢は旧態依然たる「フクシマ事故前」の行政姿勢です。


主体性放棄・判断停止状態の広島市当局

 2つめは1点目の姿勢からくる必然の結果ですが、「原発問題はエネルギー問題」「エネルギー問題は国の専管事項」「よって地方自治体たる広島市は国の判断を見守る」「国は適切に判断してくれるだろう」とする主体性放棄の広島市当局の姿勢です。いわば判断停止状態にあるこの広島市の姿勢は、この市当局に私たちの生命・財産を預けて本当に大丈夫なのだろうか、という不安をいやが上にもかき立てます。

従って「広島市長も全く同じ考え、姿勢なのだろうか」という質問をぶつけてみたくなることとなります。広島市長に質問をしてみたい、と考える理由はもう1つあります。それは広島市長は私たちが直接選挙で選んだ存在だという点です。広島市民は、たとえば環境局温暖化対策課長を直接選任することはできません。が、広島市長は直接選挙で選ぶことができます。広島市長が不適切であれば私たちは直接広島市長を取り換えることができます。したがって広島市長に直接質問する行為は、私たちの選挙による選択は間違いがないかどうかの確認作業でもあります。

 こうした背景から私たちは質問書を提出したのです。


温暖化対策課登場の同義反復

 18日、質問書回答を受け取りに秘書課を訪れました。すぐに担当者に回答をもってこさせるというのでしばらく待っていると、なんと現れたのは広島市議会に市当局の「見解」を提出した当の担当部局「温暖化対策課」でした。

 「温暖化対策課の見解は本当に広島市長の見解なのか」という質問に対して、回答をもって現れたのが温暖化対策課なのですから、これは典型的な同義反復(トートロジー)です。(現れたのは温暖化対策課長の山崎孝通氏と直接担当者の福長賢氏の2名)そして課長が提出したのがこの回答書です。

 この時私たちの取り得る態度は幾通りかありました。1つは広島市長に対して上記いきさつで提出した質問書に対して、温暖化対策課長名でのこの回答内容では、回答になっていない、全くの同義反復であるとして回答書を受け取らないやりかた。2つ目は取りあえず話し合いをして、その上で判断するというやりかた。3つ目は「回答書」として受け取りその解釈はあとでする、というやりかた。結局2つめのやりかたを取ることにしました。

 市当局側は2名、私たち「結・広島」は代表の原田二三子と事務局の哲野イサクと網野沙羅の3名、それに秘書課長の岩崎氏がやや離れて立ったまま遠巻きにこれを眺めるといったいささか珍妙な光景で、話し合いとも交渉ともつかぬやりとりがはじまりました。やりとり自体は1時間半近くかかりましたが、かけた時間の割には内容は薄く、同じ問答の繰り返しが多く、以下要点だけを記します。


松井市長の回答なのかどうか不明確のまま

①これは松井市長の回答なのか?
 この回答書は温暖化対策課長名での回答となっているが、松井市長の回答なのかどうか、という質問に対して、対策課は「市役所は組織であって、市長に対する質問を担当部局名で回答することはよくあることだ。市長と担当部局は一体である」というものでした。

 これに対して「一般的に広島市長や広島市に対する質問に担当部局が替わって回答することはよくあることだし、そのこと自体は理解できる。しかし今回はそのケースに当てはまらない。担当部局の見解に対してこれは市長も同じ見解か?と問うているのが質問の趣旨だ。それに対して担当部局が出てきて回答するのでは、論理学でいう典型的な同義反復だ。このままは受け取れない。質問の成り立ちが理解されていない」と反論しました。

 これに対して山崎課長は「広島市長も同意見である」と捕捉したので、「松井広島市長も同意見という趣旨ならば、同義反復にはならない。それを文書化して欲しい。文書化の証としては、一筆手書きでいいので山崎課長名の前に“広島市長松井一實代理”と書き添えて欲しい」と迫りましたが、山崎課長はこれを拒否、あくまで自分名での回答書の形式を崩しませんでした。この回答が松井市長の見解であることは確認できましたが、文書化を断られたので、そのままとしました。


論点すり替えの回答

② 内容そのものが質問の回答になっていない。
 「私たちの論点は“伊方原発3号機再稼働問題”であって、しかも広島市民の“生存権”問題として扱っており、その角度から質問をしている。これに対してこの回答の構造は、伊方原発3号機再稼働問題という論点にはまったく触れず、構成としては“伊方原発3号機再稼働問題”は“原発問題”、“原発問題はエネルギー問題”“エネルギー問題は国の専管事項”“広島市は国のエネルギー政策を見守る”という流れになっている。原発問題が“エネルギー問題”という論点がありうることは理解できる。しかしこの質問書はその視点から論じていない。つまりこの回答は論点をすり替えている。論理学でいう典型的な“論点すり替えの詭弁の誤り”を犯している。質問の論点についてはなんら回答していない」というのが私たちの立場。

 これに対して「質問の論点は理解している。だからこうして説明している。原発問題が広島市民の“安全・安心”を脅かす状態になれば、広島市として当然対応をとるが、現在のところその証拠はない」という口頭の回答が対策課の立場。

 「それはそれで結構だ。広島市の使う“広島市民の安心・安全”(これは繰り返しどこかで聞くフレーズですが)は私たちの“生存権”とほぼ同じ意味だと思う。質問の論点が理解されていて、広島市民の生存権が脅かされる状況、あるいはその恐れがある時には、広島市は独自に動くということあれば、その旨を回答に書いて文書化して欲しい。口頭で回答したんだから、文書にすることには不都合はあるまい」と迫ると、なぜかこれは拒否。
 文書上では「原発問題はエネルギー問題」という立場を一切崩さないという決意が固く、あとは繰り返しの押し問答。


原子力災害対策指針を自分の頭で読むかどうか

③ 広島市民は生存権の脅威にさらされているか
②の中の話で唯一論点がかみ合った話題があります。それは“広島市民の安心・安全がおびやかされているか、あるいはおびやかされそうな証拠があるか”という問題です。要するにこれは原子力災害対策指針と同じく規制委の公表した原発苛酷事故時の“放射性物質拡散シミュレーション”をどう読むかという問題に帰結します。私たちの指摘している問題でもあります。対策課の理解は、“国”なり“規制委”なりが、原発苛酷事故時に広島市が何らかの対策が必要だ、という明示がない、という点につきます。確かにシミュレーション自体作成した目的は、原発30km圏内を“原子力災害重点区域”とすることの妥当性を裏付けることにあり、広島市は30km圏外にありますから重点区域ではなく、従って原子力災害時の広域避難計画対象区域から外れています。しかし、広島市は30km圏外で、災害対策指針でいうOIL2(一時移転対象区域)となりうる蓋然性があることは、シミュレーションで示された「原発からの距離と被曝線量関係グラフ」から明らかです。

 しかし対策課は、「“広島市”の明示がない」、の一点張りで「従って“広島市民の安全・安心”が脅かされている、あるいはその恐れがある状態ではない」と主張します。思わず「そこまで国にいうなりなのか、自分の頭でモノを考えてみるという姿勢はないのか」となじったほどでした。それぞれの自治体が自分自身で調査・研究をし、自分自身で地域住民の「生存権」を守る、これが「ポスト・フクシマ時代」の地方自治体のあり方でしょう。後から「国に騙された」といってみてもはじまらないのです。ところが広島市の姿勢(恐らく全国の多くの自治体も)は、「フクシマ事故前」の姿勢と全く変化がありません。(この場合“国”とは単に日本政府を指しているのに過ぎないのですが・・・)もしこれが松井市政の根本的姿勢ならば(山崎課長の口頭での回答を信ずるならば、これが松井市政の姿勢ということになりますが)、“ポスト・フクシマ時代”にはふさわしくない極めて危険な姿勢、ということになりましょう。
 (なおこのやりとりの最中、対策課が“EPZ”という言葉を使ったので、対策課がいまだに古い原子力災害対策指針を使っていることが明らかになりました。現行の対策指針では“EPZ”という用語は廃止され、“UPZ外”と一緒に大きく括られています。お粗末な話です)


“安全基準”は慣用的に使用が許されている?

④“安全基準”という用語の妥当性
 さらに、対策課が広島市議会に示した「見解」の中で「国の動き」として安倍首相の言動を再三再四「安全基準」という言葉をそのまま引用して、市議会に報告している個所だけは、解釈の問題ではなく事実関係の問題だから訂正しておくべきではないか、と指摘しました。これに対して対策課は「安全基準」という用語の誤りを認めつつも、慣例として「規制基準」という言葉を替わりに「安全基準」という用語を使用することは認められている、と反論しました。しかしこれは大きな問題で「安全基準というと基準を満たせば原発は安全であるかのような誤解を生む」(田中原子力規制委員委員長)という理由でわざわざ正式に「安全基準」を廃止し、「規制基準」という用語に差し替えたいきさつがあります。広島市のような地方自治体、特に対策課のような担当部局は積極的にこうした誤解に基づく用語の誤った使用を訂正していく立場にあります。それが「慣例として許されている」という認識では、いかに担当部局が現在の規制基準なり原子力規制委員会規則なりを理解していないまま、この問題(原発の危険性)に対応しようとしているかを表しています。

 さらに「少なくとも、市議会に示した見解にはミスリードにつながる用語法があるのだから訂正ないしは注釈を加えるべきだ」と指摘したところ、「安倍首相の言葉を引用しただけで首相の言葉を訂正するわけにはいかない」との回答。それはもっともなことなので「それでは注釈を入れたらどうか」と提案すると「対策課は解釈は行わない」(山崎課長)との回答でした。「国の動き」として安倍首相の言動を中心にピックアップして議会に報告すること自体、1つの立派な解釈なのですが、このあたりにくると私たちは、対策課の詭弁(論点すり替えや先決問題解決の要求、同義反復など)に疲れてしまい、もう山崎課長の恣意的な言い分の追及を行おうとする気力すら失せていました。後は広島市議会がこの用語法を使い続ける広島市当局の姿勢を黙認するかどうかです。「ポスト・フクシマ時代の地方行政はどうあるべきか」という課題はなにも広島市当局にばかり突きつけられた課題ではなく、同様に広島市議会にも向けられています。

 結局私たちはこの回答書ならぬ「回答書」を書面で受け取り、詭弁に終始し、危機感の薄い広島市当局の現状を証拠立てる1つの資料として受け取って帰り、解説記事(すなわちこの一文)を添えて公表し、広島市民に警告を鳴らすことにしよう、と決めてやりとりをこちらから打ち切って広島市役所を後にしたのでした。

 ただ私たちのために多くの時間を割いていただいた関係各位には謝意を表します。いかに不毛と見えようとも対話・討論はすべての出発点であり、ソリューションへ向けての“偉大な母”だからです。


【後記】

折角「温暖化対策課課長」と話す機会なので、前々から抱いていた疑問「原発問題はなぜ温暖化対策課が担当部局なのか」という質問をしてみました。山崎課長の回答は、「環境問題はエネルギー問題と密接な関係がある、また、原発はエネルギー問題なので温暖化対策課が担当している」との回答でした。どうも釈然としない回答です。
広島市の原発問題に対する対応の仕方は、環境省の対応の仕方と極めてよく似ています。環境省においては、温暖化対策とは要するに「温室効果ガス」(CO2やメタンガスなど)をいかに削減するかという政策課題と同義です。原発は全くCO2やメタンガスを排出しないエネルギー手段として捉えられていますので、環境省にあっては原発推進は温室効果ガス削減の有力なエネルギー手段として位置づけられています。つまり環境省は本質的に「原発推進」なのです。広島市の原発問題のポジショニングが基本的に環境省と同じ、ということは、広島市もまた原発を温室効果ガス削減手段としてとらえており、だから担当部局が温暖化対策課なのです。つまり広島市の態勢は“原発推進”と考えられます。

広島市長に質問を提出

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▼質問PDF
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/20131111.pdf

昨日11月11日に広島市長室秘書課に広島市長宛の質問を提出いたしました。

秘書課課長の岩崎様に対応いただきました。

以上ご報告いたします。
18日17時までにご回答いただける予定です。

広島県知事候補の回答に対する感想と論評

多くの方々からの感想を論評を期待します。

◆質問書
質問の内容は結・広島のwebサイトに簡潔にまとめておりますのでご覧ください。
▽経緯説明含めての「結・広島」の記事
http://hiroshima-net.org/yui/index.cgi?no=35

▽広島県知事両候補に提出した質問書
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/20131028.pdf

◆両候補より回答

▽大西オサム候補回答(PDF)
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/oonishi_kaitou.pdf
▽大西オサム候補回答 結・広島webサイト掲載
http://hiroshima-net.org/yui/index.cgi?no=38

▽ゆざき英彦候補回答(PDF)
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/yuzaki_kaitou.pdf
▽ゆざき英彦候補回答 結・広島webサイト掲載
http://hiroshima-net.org/yui/index.cgi?no=41

<<感想と論評>>
※随時追加アップいたします。


◆広島市 つなさき さん <追加更新11月5日20:30>

お二人とも県知事候補としての自覚がないのか、福島第一原発の事故をあまりご存知なく伊方原発の危険性についても認識されていないのか、どちらともなのか、いずれにしても次の県知事は伊方原発から広島県民の生活と生存を守るために具体的に何かをするということは無さそうだなということがよくわかりました。
肝心の被曝についてはどちらも具体的に何が問題かが論じられることなく、言ってみれば原発が好きか嫌いかの話になっている点に絶望感を覚えます。原発が選挙の争点にならないほど風化したのだなと感じました。
また、自然エネは原発に反対する上で必要なものではありません。固定価格買取り制度は我々有権者に直ちに影響のある制度です。自然エネと原発で好き嫌いを論じればどういう結果が導き出されるかは明らかです。そして、代替エネという発想は原発があるべき姿という考えが前提です。代替としての自然エネは再稼働を必要とします。意図的なのか知らないのかは分かりませんが、この点に言及しているのは注意が必要と思います。


◆広島市 大歳 さん<追加更新11月6日 0:34>

大西候補の回答はさておき、ひどいのは現職ゆざき知事の回答。
伊方の再稼働について「賛成か、反対か、黙認か?」の質問に別の形式で答えています。
その中身を読めば、「黙認する」に最も近いような感じはしますが、堂々と「黙認する」とは書けなかったのでしょう。
3択に答えていないのは、置いておくとして
同氏は「伊方原発3動機再稼働についてどう考えるか」という自らつくりかえた問いに4つの項目で答えていますが、
4つのうち3つは伊方原発ではなく原発一般に対する答えとなっており、
さらに残りの1項目に関しても愛媛県と連携するとしか答えていません(何をどのように連携するのでしょう?)。

はじめの3つの回答の文末を切り取ってみましょう。
 〇国民的議論のもと見直しが必要であると考える。
 〇国民的議論が加速されることを強く期待している。
 〇国において責任を持った判断がなされるべきであると考える。

すべて人任せで自分の考えがどこにもありません。

揚げ足とるような感想になってしまいましたが、もう一つ。
2項目の「国においては”エネルギー基本計画”年末にをまとめる方向で~」とありますが、
年末には知事選は終わっており、
国の方針が知りたくて結・広島の人たちはこの質問状を知事候補にあてたのではないでしょう、と思います。


◆廿日市市 森本道人 さん<追加更新11月6日 15:20>

結・広島より、広島県知事候補の大西理氏と現職知事候補の湯崎英彦氏に以下の質問をしておりますが、

四国電力伊方原発 3 号機の再稼働に明確に反対の意志表示をされますか?
沈黙を守られますか?
積極的に賛意を表明されますか?

まず、この3択の質問にきちんと答えられたのは大西候補だけでしたので、そこを評価します。また、明確に反対の意思表示をするという回答は私と同意見であり、回答理由より伊方原発への知識も高い事が分かりましたので、大いに評価いたします。しかし、具体的に広島県民の放射能による被曝影響の事はが書かれてはいなかったので、どのように考えているのか聞いてみたいものです。

そして、湯崎現知事は3択の質問にすらきちんと答えられておりいません。自ら、再稼働についてどう思うか?という新たな質問を作り出しています。(非常に残念です。)
そして、その内容ですが国の方針に従う。国民議論を加速していく必要がある。と、知事としての意見はありませんでした。
そして、3択の質問のどれにも該当しませんが明確に反対の意思はなく、国は原発推進の方針ですから、それにただただ従うのだと私は理解させて頂きました。


◆広島市 哲野イサクさん


▼大西候補回答に対して▼
<11月4日 03:40>

結・広島が広島県知事候補の大西理(届け出名:大西オサム)と現職知事候補の湯崎英彦氏(届け出名:ゆざき英彦)の両氏に「伊方原発3号機」に対する県知事候補としての姿勢と見識を問う質問を出し、11月6日の回答期限前に大西候補から回答が届き、すでに結・広島のサイトにアップロードされました。

県知事候補として、広島県民の大きな懸念事項の1つである四国電力・伊方原発3号機再稼働問題に積極的に反応していただき、期限前にも関わらず回答を寄せられ、中で明確に伊方原発3号機の再稼働に反対の意志表示をされていることは、大いに評価できると考えます。これは一種の選挙公約と解釈することができもし大西候補が県知事に当選されればまず一番に広島県知事として「伊方原発再稼動反対」の県知事声明を出されるものと期待いたします。

しかしながら個別論ではやや首肯しかねる点があることは否めません。以下に列記します。

1,回答の全体を通して、私が不満を持つ点は、大西候補は「伊方原発再稼働」に関して、候補者として広島県知事の第一義的責任、すなわち広島県民の生命・財産を守る県内行政上の最高責任者としての立場からの言及がなかったことです。
  広島県知事は様々な政策課題があることは私も承知しております。しかしいかなる政策課題を掲げようが、広島県民の安全と健康、生命・財産を体を賭してでも守り抜くことが最優先事項でなくてはなりません。経済発展も、格差是正も、大企業中心の予算配分から、県民の生活優先の予算配分の転換も、すべては広島県民の安全と健康、生命・財産の確保一言でいうなら、「生存権」というもっとも重要な基本的人権の1つが確保されての話です。いわば「伊方原発再稼働反対」は単なる「スローガン」ではなく、広島県の政策課題として取り上げられねばなりません。政策課題としては最優先事項の筈です。そこへの言及がなかったことは残念に感じます。

  伊方原発再稼働による苛酷事故発生は、原子力規制委員会の規制基準適合性審査の議論を読む限り、「絶対に起こってはならないこと」としては捉えられておらず、確率の問題として捉えられていることは明らかです。規制委の議論は、苛酷事故の発生の蓋然性をできるだけ小さくしよう、万が一重大事故が発生したならこれを苛酷事故に発展させないために様々な規制基準 (Reguratory Requirments)を設けているのです。いわば苛酷事故発生は「確率論」の問題として捉えています。ですから田中俊一規制委員会委員長自身が「ゼロリスクというものはないんだ・・・(苛酷事故発生のリスクゼロ)に対して私どもははっきり万歳しているんです」(4月3日定例記者会見)というように、規制委員会の仕事はリスクを限りなくゼロに近づけようという議論にならざるをえないわけです。

 伊方原発苛酷事故は、再稼働の百万年後におこるかもしれません。しかし確率論で論ずる以上、それは再稼働の翌日かもしれません。
 まさに神のみぞ知るであります。私たちは、伊方原発苛酷事故発生が確率論で論じられているところそのものに大きな懸念をもっているわけです。
 ましてや伊方原発苛酷事故発生(フクシマ原発事故と同程度の苛酷性)にともなう放射性物質拡散シミュレーションが、かなりの蓋然性をもって示され、そのシミュレーションで広島県西南部は原子力災害対策指針でいうところの「OIL2」(一時移転対象区域)となることが明示されている状況では、私たちの懸念は妄想どころか、はっきりした現実味を帯びて私たちにせまってきています。

 言いかえれば原子力規制委員会は私たちにつぎのように事実上告げているわけです。
 「現在の規制基準に従って、伊方3号機が適合性審査に合格すれば伊方3号の再稼働を認めますよ。ただし絶対事故が起こらないと保証はできません。
 規制委としては、苛酷事故の可能性をゼロにすべく最大限の検討を加え、ベストをつくします、しかし原発事故にゼロリスクはありません。万が一発生する可能性がないとはだれにもいえません。その万が一の時には、一応シミュレーションも出しておきました。みなさんはこのシミュレーションを参考にして万が一の備えをしておいて下さい。よろしいですか、規制委としてはやれることはすべてやりつくしましたよ、正直に現状もお伝えしました。後は皆さん方の責任です。万が一の時にはご自身で身を守ってください」

 しかし私たちはこの規制委員会の言い分を認めるわけにはいきません。私たちは「苛酷事故ゼロリスクの保証か、さもなくば再稼働の断念か」といっているのです。私たちの「生存権」を確率論で論じられてはたまりません。規制委員会は私たちの運命を「確率」という形で「神の手」に委ねていますが、私たちはそうではありません。私たちの「運命」を「神の手」から取り戻し、私たち自身が決定したい、といっているのです。それには 「伊方原発の稼働断念、廃炉」という結論しかありません。

 残念ながら、「伊方原発再稼働決定問題」は政治的には私たちの手を離れています。ですからこそ広島県知事の断固たる意志表示が決定的に重要になり、この政策を広島県政の根本において欲しい、というのが私たちの要求なのですが、大西候補のこの問題に対する研究・思索の深さや高い政治的見識は窺えなかった、むしろスローガン「としての原発反対」の延長としての「伊方再稼働反対」の主張に思われ、ややステレオタイプな「原発反対」のリフレインに しか感じられなかった、と言わざるをえません。


▼広島県知事候補 湯崎英彦氏の伊方原発3号機再稼働問題をめぐる回答について▼
<追加更新11月6日 23:09>

 湯崎候補者(現職知事)の回答はいろんな意味で不誠実と言わなければならない。(期限前に書面で回答を返されたことは大いに評価されなければならない。しかも選挙戦の真っ最中、県内遊説の忙しい合間を縫っての回答であることを考えるともって多としたい)

不誠実というのは以下の理由による。
 国や各省庁、経済界、政党、大手既成マスコミ、少なからぬ環境主義者やそのグループ、これも少なからぬ学者・研究者、一部の“反原発”“脱原発”を標榜する市民グループですら、「原発問題」を「経済・エネルギー問題」の一部として捉えてきた。「原発の段階的解消論」や「自然エネルギーへの代替論」などもこうした議論、すなわち「原発問題はエネルギー問題」という捉え方の延長線上にある。現職広島県知事として、あるいは原発推進の総本山経済産業省のそのまた中核組織である資源エネルギー庁で高級官僚の経験のある湯崎氏が、「原発・エネルギー問題」から私たちの問いに対して回答を寄せることは十分予測できた。なるほど、原発問題をエネルギー問題として論じる視点もあるだろう。それは否定しない。

しかしこの問題を別な角度から論ずる視点もありうる。特に福島第一原発事故を経験し、四国電力・伊方3号機の再稼働が目の前に迫り、しかも原子力規制委員会の放射性物質拡散シミュレーションが公表され、万一原発苛酷事故発生の際には広域避難が義務づけられ、すでに一部実施した原発立地自治体が現に存在する現状では、原発問題をエネルギー問題としてではなく私たちの「生存権問題」として捉える視点もまた立派に成立する。

質問書を読んでいただければ了解されるが、質問書は前段で情理を尽くして「生存権問題」の視点を成立させている。その上での質問だった。この「生存権」の視点に対して、湯崎回答は旧態依然たる「エネルギー問題」の視点からの回答となっている。つまりは議論がかみ合わない。議論がすれ違えば、折角この問題を深く掘り下げる機会は生じない。

「~はどうですか?」「~はいかがお考えですか?」式の漠然とした質問では、この種の回答がかえってくることは十分予測できた。このため質問は、「明確に反対するか?」「沈黙を守るか?」「積極的に賛成するか?」の三択形式とし、その理由説明を求める形となった。

この質問に対し、湯崎氏は「問 四国電力伊方3号機の再稼働にたいしてどのように考えるか」と質問書で問うていない、すなわちありもしない架空の質問をわざわざ立てて、この架空の質問に答える形になっている。(湯崎候補回答 1行目参照のこと http://hiroshima-net.org/yui/pdf/yuzaki_kaitou.pdf

対話する当事者としても不誠実だが、これは人間としても不誠実なのでは、という疑念を抱かせる。

原発問題を生存権問題として捉え議論し、問題を深めようとする意図は流産である。流産の責任は挙げて湯崎氏にある。「生存権」の視点が湯崎氏に理解できないとは考えにくい。読めば理解できることだ。つまりは、湯崎氏は質問書の意図・視点を十分に理解しながらあえてこの視点は存在しないと無視し、エネルギー問題として回答されたことになる。特に質問書の趣旨が広島県民の生存権問題に言及し、県民の生存権を防衛する行政上の最高責任者が広島県知事であり、湯崎氏が現職候補者であってみれば、その姿勢は県知事としても不誠実、といわねばならない。その職責の重さを考えると不誠実を通り越して“無責任”と形容しなければならないほどだ。県知事としての適格性を欠いている、と結論しなければならない。

広島県は(広島県に限らないが)地方自治法でいう地方公共団体だ。その意味で広島県は西欧諸国やアメリカで見られるような地方政府ではない。国の下請け機関、といって悪ければ国の行政端末である性格を色濃くもっていることはやむを得ないだろう。しかし、県民の安全と健康、生命・財産に関する問題、一言でいえば生存権の問題まで、国の行政端末であっては県民としてはたまらない。湯崎氏の回答は、原発問題をエネルギー問題として捉え、その上で対応の仕方は国の行政端末に徹している。従って、伊方原発3号機再稼働問題に関しても、独自の勉強や研究、思索を深めた形跡は、回答書を読む限り微塵もない。まるで湯崎氏からの回答が、経済産業省からの回答だとしても見分けはつかないだろう。

広島県知事は単に行政端末の長ではない。同じく地方自治法は「地方公共団体は住民の福祉を基本」とすべしと明記しているし、現に広島県知事は戦前のように政府が任命しているのではなく、私たちの投票で選ばれている。湯崎氏が、「伊方3号機再稼働問題」を眺める時、単に「エネルギー問題」としてしか捉えておらず、従って県民の生存権問題としての視点を持ち得ないのであれば、「ポスト・フクシマ時代」の広島県知事として大きな懸念をもたざるをえない。

仮に100歩譲って、原発問題をエネルギー問題として捉え、エネルギー問題としての「原発の安全性」という課題に対処する県知事としても、大きな疑問を感じさせる回答だった。湯崎氏は次のように回答している。
 「原子力発電所の再稼働につきましては,原子力規制委員会が取りまとめた新たな基準による安全性の評価を踏まえた上で,国が国民に対して十分な説明を行い,立地県の意向も尊重しながら,国において責任を持った判断がなされるべきものと考えている。」

 原子力規制委員会が行っている「規制基準適合性審査」は「原発の安全性」について評価しているのか?原子力規制委員会が「規制基準適合性審査会合」で行っている審査は、原発個別の安全性を評価しているのではない。規制委員会自身が、個別の原発の安全性については評価できない、なぜなら原発に関して苛酷事故の「リスクゼロはない」といっているのだから。(2013年4月3日規制委員会会合後の定例記者会見の席上、田中俊一委員長のコメント)
 それでは原発の安全性はどうやって担保するのか?完全無欠な安全性については「私どもは万歳しているのです(お手上げ状態という意味)」(同田中委員長)
 つまり規制委員会は完全に「原発安全神話」と訣別したのである。それでは今後原発を推進していくにあたって「原発安全神話」に何を対置するのか?それが「確率論的安全評価」(PSA=Probabilistic Safety Assessment)の考え方である。PSAとはわかりやすく言うと、「原発苛酷事故は避けがたい。しかし発生頻度を最小化することはできる。最小の頻度を設定して安全目標とし、その観点から安全評価」をするということである。(原子力規制委員会は現在、PSAに基づいて福島原発並の苛酷事故発生頻度を1炉あたり100万年に1回を目指したい、といっている)

 安全目標ができれば、その安全目標に対応した原発の「性能目標」(器機や装置などの仕様目標)ができる、これが現在の「規制基準」である。その間の事情は、2013年4月3日の原子力規制委員会で委員長の田中俊一氏が次のように説明している通りである。
 「安全目標やそれにより導かれた性能目標を達成する工学上の工夫の在り方を示すのは『規制基準』という言い方をされておるんですが、先週のプレス会見で、私見として申し上げたんですが、今まで『安全基準』という言葉を使ってきたんだけれども『規制基準』の方が適当かもしれないということを申し上げています。」「『安全基準』というと、基準さえ満たせば安全であるという誤解を呼ぶことがあって、私も先にプレス会見で御指摘をいただいて、傾聴に値しますということで、先週『規制基準』がいいという話をさせていただきました。(同日規制委員会議事録32p~33p)

 要するに「性能目標」は「安全目標」と切っても切れない関係にあるが、性能目標を安全目標と勘違いされては困る、性能目標をクリアすれば安全なんだ、と思われては困る、ということだ。従って現在規制委員会で審査されているのは、安全目標に対応する性能目標(規制基準)なのであって、決して個別原発の安全性を審査しているのではない、という基本理解が決定的に重要になる。そして原発の安全性は実際の稼働の中で事業者(電力会社)が、努力して高めていくものであり、規制委が安全性そのもを評価することはできない、としている。

 にも関わらず湯崎氏は回答で「新たな基準による安全性の評価を踏まえた上で,国が国民に対して十分な説明を行い」と述べている。規制委員会は新基準による原発の安全性を評価している、この湯崎氏の誤解はいったいどこから出てくるのか全く理解に苦しむが、想像するに湯崎氏が資源エネルギー庁の高級官僚時代に華やかだった「原発安全神話」の発想そのままで、現在の規制基準とその適合性審査を眺め、現在進めているのは「安全性審査」だと早とちりをしているとしか考えられない。

 これを見ても、湯崎氏が「ポスト・フクシマ時代」の県知事、その南端県境わずか60kmあまりの場所に四国電力・伊方原発を抱える広島県知事として危機感が欠如しており、広島県民の生命・財産を守り抜こうという固い決意が見られない(この点は回答書を読む限り、大西候補も同様である)、つまり広島県知事としての基本的適格性を欠いていると指摘しておきたい。

 さらに踏み込めば、私たちは広島県民として、原子力規制委員会の原発安全性に関する基本的考え方、すなわち「確率論的安全評価」(PSA)そのものを批判しているのである。なるほど原子力規制委員会にとって原発苛酷事故は「確率論」問題かもしれない。しかし私たち広島県民にとって伊方原発の苛酷事故は「確率論」ではない。絶対安全でなければ稼働しては困ります、「フクシマ原発事故」が広島市からわずか100kmの場所で起こるのは絶対やめてくれ、その可能性が100万分の1あるのなら稼働させないでくれ、というのが私たちの立場だ。確率論で論ずる以上、伊方原発苛酷事故は100万年後かも知れないが、同時にそれは稼働の翌日かも知れないのだから。

 「確率論的安全評価(PSA)」はチェルノブイリ事故後、世界の原子力規制行政の標準的考え方となった感がある。長い間「原発安全神話」にどっぷり浸かってきた日本の規制行政は、フクシマ事故後1年も経ってやっと世界標準のPSAをその規制行政にとりいれた。しかし取り入れた途端に、PSAは時代遅れとなってしまっている。

 それでは原発推進の立場に立って、最新の原発規制行政の考え方はいったいどんなものか?それは先日来日して講演を行った前米原子力規制委員会委員長、グレゴリー・ヤツコ氏が述べた考え方である。ヤツコ氏はいう。
 「仮に原発がいかなる苛酷事故をおこしても、その影響を一切原発敷地外に及ぼさない、そのような安全基準を開発すべきである。そのような安全基準ができるのかどうか甚だ疑わしいが、すくなくともそのような安全基準ができるまで、現在の原発は稼働を停止しておくべきである」(2013年9月20日夕刻広島市内の講演会で)
 ヤツコ氏は原発反対派ではない。少なくともその経歴をみればむしろ原発推進派に属する。そのヤツコ氏が、フクシマ原発事故に直面し、米原子力規制委員会委員長としてその職責を全うしようと、思索を深めた結果が上記のコメントである。

 プロセスは異なれ、原発推進派のヤツコ氏の結論が、期せずして私たち反原発派の結論と一致したのである。氏の見解は、伊方原発再稼働を目前に控えた私たち広島県民にあらがい難い説得力をもっている。


◆広島市 原田二三子 さん<追加更新11月7日 01:31>

両候補が、非常なご多忙中であるにもかかわらず回答をお寄せくださったことに、まず感謝致します。

【湯崎候補の回答について】

回答を寄せてくださった順序とは違いますが、初めに、湯崎候補の回答についての感想です。

 私たちの質問は、次のとおりでした。

「広島県民の生命・財産を守る権利、安全と健康を守る権利、一言でいえば憲法で認められている基本的人権のもっとも重要な構成要件の1つである「生存権」に対して第一義的に責任を負うのは広島県知事だと考えていますが、その広島県知事候補として

四国電力伊方原発3号機の再稼働に明確に反対の意志表示をされますか?それとも沈黙を守られますか?それとも積極的に賛意を表明されますか?」

 ところが、湯崎候補の回答では、質問が、「四国電力伊方原発3号機の再稼働についてどう考えるか。」というものにすり替わっています。つまり、私たちの問いに対して湯崎候補は答えておられず、「回答」を寄せてくださったように見えながら、実際には回答してくださっていないということになります。非常に残念です。
 
 その上で、質問への回答ではないものの、湯崎候補の見解が示されているお答えについての感想です。
 
 まず、非常に不適切な言葉の使い方があります。3項目目の「原子力規制委員会がとりまとめた新たな基準による安全性の評価」という表現ですが、原子力規制委員会が行っているのは、「規制基準適合性審査」であって「安全審査」ではありません。「規制基準」をクリアすれば「安全」であるとは言えないということは、原子力規制委員会自らが認めていることです。
 
最も残念なことは、「原子力発電所の再稼働」については、「国において責任を持った判断がなされるべきもの」というお考えしか示しておられないこと、「伊方原子力発電所の再稼働」については、「愛媛県と連携する」というお考えしか示しておられないことです。
「広島県知事」としての主体性はどこにあるのでしょうか?
質問にも書いたとおり、「広島県知事」は、広島県民の「生存権」に第一義的な責任を負うべき存在です。その責任を果たされる姿勢のまったく見られない湯崎候補のお答えに、深く失望します。

【大西候補の回答について】

 大西候補は、まず、三者択一の私たちの質問にまともに答えてくださっています。

 そして、「『再稼働に明確に反対の意思表示』を致します」というお答えは、伊方原発3号機再稼働に反対している私たちとしては、歓迎すべきお答えです。

 しかし、その「理由」の中に、「広島県知事」として広島県民の「生存権」を守る立場からの見解が示されていないことは、湯崎候補の場合と同様、残念に思います。


◆広島市 重広麻緒 さん<追加更新11月7日0 1:34>

伊方原発再稼働問題に関する質問状への広島県知事候補者の回答を読んだ感想

大西候補の回答:伊方原発再稼働反対の意を表明します。

共産党は反原発を掲げているので予想通りの回答でした。

ゆざき候補者の回答:原子力発電所の再稼働につきましては、原子力規制委員会が~略~
国において責任を持った判断がなされるべきと考えている。

3択の中からはお選び頂けませんでした。
しかも候補へ質問は「反対?賛成?黙認?」から「伊方原発再稼働問題についてどう考えているか?」に差し替えられていました。

「国民的議論のもと見直しが必要」「国民的議論の加速に期待」と「国民的議論」が二回も出てきます。
「国民的議論のもと」とはなんのことでしょう?
国民的議論をする場でも設けてくれるのでしょうか?
何を国民的議論の表れと捉えているのでしょうか?
まさか選挙の投票結果のことでしょうか?
国民的な議論を国会でしてくれるという事でしょうか?
この問題を国会まで持っていってくれるという約束をしてくれた?!と捉えても良いんでしょうか?
候補自身がどう考えているのかがわからないです。そこが聞きたいです。
あまりに人任せです。
そして「国において責任を持った判断がなされるべき」と、今度は国任せにしています。

エネルギー問題として捉えているようですが、伊方原発再稼働問題は私達の死活問題です。
「電気が無いと生活出来ない=生活を守る為には電気を確保する」とお考えなのでしょうか?
命が無ければ、住む場所が無ければ生活は出来ません。エネルギー問題以前の命の問題です。
原発が動いていなくても電気は足りているので「代替えエネルギーの問題」でもありません。
原子力発電はコストもかからない発電方法と謳っていますが実際はそうではありません。
だから「コスト増加に伴う国民の負担増の問題」でもありません。
そもそも経営努力をせず燃料高騰を理由に電気料金を上げるのは電力会社の怠慢ではないでしょうか?

「愛媛県と連携し、対応していく」とあります。
大西候補の回答の中で愛媛県知事は推進派とかいてありましたが、愛媛県と連携し伊方再稼働を進めていく、ということではありませんよね?
連携していくと回答したからには必ずや愛媛県と
伊方原発再稼働問題について議論してくれると期待しております。

ゆざき候補の回答は回答になっていないと思いました。
慎重に検討していきますという姿勢を見せて、国が政策を打ち出せばそれに従うのだろうと感じます。

福島で原発事故が起こり被害は膨大で今も悪化し続けています。
それを見るだけで原発事故はもう決して起こしてはならないものだと誰でも分かります。
それなのにこれからの日本では「原発は事故を起こすもの」が前提で再稼働されます。
再稼働すれば事故を起こす可能性は高まります。

広島県民を守る立場の県知事に立候補した候補として県民を危険に晒す事など容認出来ない、
何を差し置いても県民を守るという確固たる姿勢を見せてほしかったし、そうあるべきだと思います。

広島県知事候補への「伊方原発」問題に関する質問書の件 感想・論評を

みなさま

「結・広島」から10月28日に広島県知事両候補(大西オサム候補・ゆざき英彦候補)に質問書を提出しました。
質問の内容は結・広島のwebサイトに簡潔にまとめておりますのでご覧ください。
▽経緯説明含めての「結・広島」の記事
http://hiroshima-net.org/yui/index.cgi?no=35

▽広島県知事両候補に提出した質問書
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/20131028.pdf

両候補より回答を頂きました。

▽大西オサム候補回答(PDF)
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/oonishi_kaitou.pdf
▽大西オサム候補回答 結・広島webサイト掲載
http://hiroshima-net.org/yui/index.cgi?no=38

▽ゆざき英彦候補回答(PDF)
http://hiroshima-net.org/yui/pdf/yuzaki_kaitou.pdf
▽ゆざき英彦候補回答 結・広島webサイト掲載
http://hiroshima-net.org/yui/index.cgi?no=41

ご覧ください。

そして大事な事は色んな方々からの感想・論評だと思います。
是非、感想・論評がありましたらお寄せください。
結・広島及び広島2人デモのwebサイトにて掲載し
web上にて議論・討論出来ればと存じます。

なお感想・論評は「結・広島」代表メールまでお願いいたします。
yui@hiroshima-net.org

口頭やツイッター上で批判めかしたことや
ちょいらかし、からかい、皮肉はいくらでも飛ばせます。
しかし、それは本当の市民力にはなりません。
市民一人一人がしっかりした批判力を身に着けることが
今、一番大切なことだと思います。
今回はいいチャンスだと思いますので
優れた批判精神に富んだ、論評・感想をお寄せください。

なお、議論を深めると言う意味で、もちろん広島県民の方でなくても結構です。
宜しくお願いいたします。

「結・広島」事務局
網野沙羅

プロフィール

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